若手保育士の職場ガチャ攻略ブログ

今年2年目になる20代男性保育士、大学では電電を学んでいた。畑違いから来たからこそ、男性だからこそ思う、あれこれを呟きます。

うまくいっていない時の自分の精神の未熟さ

自分の写真、保育園には職員の名前と笑っている写真が載っているものだ。ふと思い出す、自分が保育園で何かミスをした時の心情。こいつ何このくそ笑っていやがる、と自分の晴れやかな写真に対し恥ずかしさを感じ、罵倒したくなるのだ。そういえば、自分はそういったものに対して擬人化的な妄想にふけることがある、例えば何かこれから起きるストレス、自分が発表しなければならないとき懇談会などの当日に目の前にある明るい男性のイラストをみて、自分がこのイラストだったら楽だったろうに、と考えたりする。いやでも、イラストだと色々楽しいこともできないだろう、と考え直すのだが想起してしまうのだ。こういう精神状態に私は昔からなってきた。自分が暗い心情なのに周りのあれこれが明るい心情を出している、そしてそれらが切り取られた瞬間や誇張したものであると、なおさら羨ましさ、怒り、対象が自分であれば恥が生じる。理性を覆い被さるイメージだ。これは100/0で考えたくなる感覚からきているのだろうか。交友関係も、相手の立場も、自分の評価も、実はスペクトラムであり、積み重ねがそこにはある。積み重ねを自覚していない中では不安定な心情か、一見してさっぱりした心情が、のどちらかになってしまうため、自分の思い適切にを伝えるには不適当なのだろう。自分がミスをした時に、それに対してどこまで真剣に向き合うべきであるか、このべき、も人によって多種多様であるだろう。また、蓋もない議論はやめておこう。最近の若者は〜という意見を聞くが、それはごもっともかもしれない、ただしそれは相手の性格が捻じ曲がっているとは限らない。私は本人の世代によって、性別によって、また職場の環境によって、失敗をした時に何に対してウェイトを置いたら良いのかが異なると思っている。感情なのか、行動なのか、特に今の若者はあらゆる制限の中で学生時代を過ごす、ある意味で温室育ちともいえる。どちらかというと知性化的な防衛機制を働かせる者が多いと思う。これは体罰やそれに準ずる行為を減らしていったことには良い側面と悪い側面があり、悪い側面だろう。つまり社会の反応というリアリティを学ぶ機会も同時に失われたということだ、退職代行なるものが若者の中であるのも頷けるわけだ。思いを伝えることも難しいのだということだろう。それは心と感情、理性と行動のバランスが悪く不器用な、誰しも通る道なのだ。それを今の若者は社会に出てからしか学ぶ機会が少ないのだと私は思う。